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2016年11月10日 (木)

詩人と音楽家たちの部屋

あたらしい芸術作品が、今、ほんとに生まれる瞬間に、
たちあってくださったみなさまに、感謝、かんしゃ、かんしゃ。

ほんとに嬉しかった。

……というか、嬉しいを通り越していて
よくわからない一日だったんだけれど

音楽ってすごいし、絵ってすごいし(音楽家たちとの部屋の前後は画家との部屋で長時間過ごしたのです)、

それぞれの人がそれぞれに今まで丹精込めて磨きつづけてきた、それぞれのぴかぴかのきらきらの才能を惜しみなく分かち合っている場というのが、わたしにとっては、これこそが世界だ、これがほんとの世界の姿なんだと思えるすばらしさだった。

What a Wonderful World。

それはもちろん、作曲家であり歌い手でありピアニストであり俳優といった
「才能」だったり「技能」というに当然ふさわしい人たちのことなのは
もちろんなのだけれど、

そこで、音の流れ出した瞬間からずっと最後まで、
鮮やかな驚きと感動の中でぴかぴかきらきら輝いて、
生きる力をみるみるどんどん充填していってくれた聞き手の、
その新鮮ないのちの発露こそ才能なのだし

「今日はお客様として自分の仕事は封印するぞ」と思っていたのに
ぱっと体が動いて、思わず治療の技をつかってしまった鍼灸師さんとか、

わたしというひとりの詩人を産み育て、見守り続けてきて、
その日、その場にみんなの輪の中で静かに座っていてくれた
わたしの父と母なども、明らかにそうなんだった。

そういう全部が、アートだ。

たまたま自分に与えられたチャンス、居合わせた場、
たまたま出会った誰かや、何かのすべてとともに
ただ誠意をもって生きる、
精一杯おどろきながら、
ひとつひとつ、一日一日生きるということが、アート。

わたしは、『詩人の家』という作品で自ら詩人になると決めた時、
自分ではまったく記憶していないんだけれど
「生きることがそのまま詩になればいい」って言っていたらしい。
(制作・ぺこちゃん談)

わたしは自分の生活が詩じゃないと感じていて、
きっとそれが嫌だったんだろうなあと今、想像する(なんせ覚えていない)

集った人たちを見ていたら、みんなが一人一人詩を生きていて
暮らしていること、生きていることが詩じゃないいのちなんか、
きっとないんだなと思った。

平日の昼間に、詩人の部屋にこられる人々は、
それだけで、既に、少し特別な人たち、
詩を生きることができている恵まれた人たちなのかもしれないけれど、

だけど、この世界はすでに豊かなもので満ちていて
人々は例外なく、みな、豊穣に恵まれているのが本当は本来の姿で
ないものを奪い合い、ないことを嘆き、持つ人を羨み、恨むのは
なにかが、おかしいんだと思う。

生きることが、詩なんだ、これが、アートなんだと気づくことは
どんなに過酷な場に生きていても、きっと、できることなんだと、
わたしは信じてるし、信じたい。

無償で与えられているすべてのものに対して
アートでこたえることができるのが、
「当たり前」のこの世界に対して
なんて素晴らしいの!と感応することができるのが、
ともに喜び合うことができるのが
わたしたち、人間。

特別な人間だけの、特別な資格のいることじゃなくてさ。

それぞれが、自分の色の、自分のサイズの、自分のかたちのアートを生きて
そうしたら、そのすべてがお互いにとって喜びであり
与えあい、受け取りあうことがただうれしくて、跳ねて跳ねて跳ねて、

跳ねても跳ねても跳ねても、あげてもあげてもあげても、
やっぱり自分の才能は、じぶんのいのちはなくなりゃしない、
のが、わたしたちなんじゃないかって、思う。

ろくな写真を撮れなかったわたしに、おかしの精さんが撮った写真を貸してくれました。ありがとう!

20161110s1  20161110s_2


20161110s3

20161110s4
20161110s5
詩人と音楽家たちの部屋の話が長くなったから、

その続きの、詩人と画家の部屋の話は、明日書きます。

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