水曜日は本の話

2015年10月 7日 (水)

本のひろばの水曜日

151007_115001今週も、水曜日の「本のひろば」行ってきました。

秋の空気がきれいで、気持ちがいいから……と、たまこさんは大きな窓のカーテンをすっかり外してしまいました。

窓の外に目をやると、おしゃべりも止まってしまうほどの美しさ。

ここに座って、本を読んでいると、森で読書をしているみたい。

森や野原の本を選んで、テーブルの上に並べさせてもらいました。うっとりする眺めです。

そんな私が選んだ今日の読書は「森のへなそうる」。愉快な本なのに、どうしてでしょう、やたら切なくなっちった。あーあ。年とったってことかなあ……。

先週発足した「本のひろば合唱部」の活動も、お客様と一緒にして、今日から発売の「本のひろば絵葉書セット」の作業もして。

今日も、充実の一日。

Wb

さて、本日でJAZZ&お話ライブのお土産話はおしまいです。

さいごのお話『オズの魔法使い』

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2015年9月30日 (水)

秋の実りと、本と、お話と。

150930_152002毎週水曜日は、ちゅうりん庵の

「こどもの本のひろば(大人もOK!)」。

久しぶりに、遊びに行くことができました。

元気な子供たちが、

スダジイのどんぐり拾いをしましたよ!

本のひろばでは、わたしも必ず1冊、

新しい本を読みます。

今週は『BROOCH』という

魔法のような本に出会って感激。

Pf

さてさて、JAZZ&お話ライブのお土産話、始めました。
本日は、ひとつめのお話『秋の声』。

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2015年7月23日 (木)

山本先生のおうちへ

この缶詰日記で、

「水曜日は本の話」という、記憶の中の本のあれこれを書き始めたのは

2010年の夏でした。

第1回が『長くつ下のピッピ』、そして、

はやくも2回目に、とりあげているのが、『路傍の石』。

その思い出の小説が書かれたという家に、

ひょんなことからご案内いただきました。

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150723_160701驚きました!

山本先生、これは豪邸ではないですか!

なんというか、少しばかり、つまらない気もちになりました。

私の心の中で、吾一少年は、先生と一体化してましたんですもの。

こんなたいそう立派なお屋敷で、先生はごいっちゃんを書いていたのか!

私、先生のこと何も知らなかった!

先生が小説を書く前、劇作家であったことも!

勝手な思い込みを裏切られて、ちょっぴりつまらなく思った気持ちが

駆け出しの劇作家として苦労した先生の年月を知って急接近!

150723_160804先生!いつの時代も、劇作家の苦労は同じですね!

菊五郎さんとの出会い、よかった!よかった!よかった!

そんなこんなで興奮しつつ

先生のおうちで『路傍の石』を開きました。

おそらく30年以上ぶりに開いた本を見たら、覚えていたエピソードは、少しずつ間違ってた。

間違ってても、いいんです。

そういうものでしょ、本を血肉化するって。

5年前の「水曜日は本の話」は、こちら

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2015年5月 6日 (水)

水曜日は本のひろば

いつもいつもお世話になっておりますちゅうりん庵は

この4月から、毎週水曜日、

「子どもの本のひろば」

になってます。

ただ、本があって、たまこさんがいる、という。

こんな素敵な場所はないでしょう、っていうわけで

気づいたら、通ってる、わたし。

いったらたまこさんとおしゃべりするけど、

少なくとも1冊は、本も読む。

先週は佐野洋子さんの「だってだってのおばあさん」

今週はいせひでこさんの「大きな木のような人」

絵本っていいなあ。

水曜日のお楽しみです。

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さて、今日も、4月のお話ライブのこぼれ話をひとつ。

第7回JAZZ&お話ライブのこぼれ話『せんたく』

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2014年7月24日 (木)

わたしはわたしを知っている?【金石範作品集Ⅰ・Ⅱ】

さて木曜日ですが、水曜日は本の話。

金石範という作家をわたしはつい最近教えられて、
図書館に行くことはしないで、
最初からこの分厚い本を買いました。
直感を信じて。

こんな大きな、こんなに高価な本を買って、
結局は読めないで手放してしまうんじゃないかと
不安もどこかにありましたけれど。

本は無限に買えるわけじゃないし、
無限に置けるわけじゃないし、
買ったはいいけれど読めない本には、
なんとも言えないみじめな気分にさせられるのです。
だから、この本を買うのは、大変な勇気でもありました。

案の定、すぐに読むことができなくて、
本棚に並んで迫力を醸していたこの2冊、
半年ほどたってから読み始めることになりました。
読みだしたらほとんど止まらなくて
出先には持って行けないし、寝床でも読めない大きさなのに
1ヶ月ほどで読み切ってしまいました。
超特急と言っていい速さだった。
あわてて読んだのではありません。
行きつ戻りつ、何度も読まないと、頭に描けないところもありました。

それでも、この速さです。
どれだけ、必要としていたのでしょう。
夏の日に冷たい麦茶が喉をごくごく通っていくような
雪の日にお風呂に浸かったつま先がじりじりするような
そういう読書でした。

「自分のことは、自分が一番知っている」
という言い方があるけれど
わたしは、そういう風に感じたことがありません。
わたしのことを知りたかったら、他者の眼が必要なように思います。
金石範の眼は、わたしが知りたかったわたしを、
見てくれていたような感じがしました。
わたしは、彼の眼を自分の眼に移植できたわけじゃない。
彼の眼に映る世界も、わたしのことも、
何にも見えるようにはなっていないのだけれど
彼の小説を読んでいると、少しだけ、ホッとする。

わたしは、日本人です。
わたしは、日本人です?
にっぽん人は、だれですか?
にっぽんじん って なんですか?

二十を超える作品が収録されたこの2冊のほかに
金石範の小説は、もっともっとある。
信じられないくらい長くて、大きくて、重たそうな
『火山島』という大作も。
いつか、その時が来たら読もう。
まだ少し、大丈夫だ、と思えるんです、そのことを考えると。

Kimsokpon

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2014年6月12日 (木)

島への旅のように【蟹工船】

さて木曜日ですが、水曜日は本の話。
 
これは私の記憶の中の、本の話です。
昨日読んだ本でさえ、
思い出して語ろうとすると筋はごちゃごちゃ、
他の本と混じったり、存在しないエピソードが紛れ込んだり、
まったく正確ではないことが多いのですけれど、
この日記ではあえて、読み直して確認したりせずに、
間違っているかもしれないことを書きます。
勝手な本の話です。
 
沖縄に、わたしは3回行ったことがありまして
3回とも八重山諸島をめぐりました。
石垣島、竹富島、西表島、与那国島、小浜島…
 
島に行って思ったことは、
また来たいと思っても、わたしが思うだけじゃ、
もう一度ここには来られない。
島に「おいで」と言われなければ…。
 
今、こうして書いてみると、それは何も島に限ったことではなくて
どのような土地でも、建物でも、また、誰かに会うことでも、
なにかに呼ばれたり、招かれたり、許されたりしなくては、
訪問することも、再会することも、かなわないとは思う。
 
でも、島は、小さな島は、
人との距離が小さいというのかなんなのか、
他の土地とは少し違って
わたしを招く声が確かに聞こえるような
そんな親密な関係をわたしと結んでくれるような
そんな感じがする。
 
で、本。
 
本は世界にたくさん、たくさん、たくさんあって
海に浮かぶ島みたいだったり、
砂漠に落ちた花みたいだったり
大きな森の1本の樹みたいだったりする。
 
この本は、わたしにとって、なぜか
沖縄の島を思い出させる本でした。
その本があることはずっと知っていて、
手に取ることも簡単で、読みたいと思えばいつでも読めた。
けれども実際に読めたのは、「そのとき」になってのことで
わたしは、本に呼ばれ、招かれ、許されて、この船に乗ったような、
そんな不思議な、気もちでいたのでした。
 
どう考えたって奇妙な話、
理屈に合わないことなのに、
その不思議な気もちは
「安心感」といわれるものに、とても、とても、似ていたのです。

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2014年4月26日 (土)

何がわたしたちをつくるか【ひとのあかし】

さて土曜日ですが、久しぶりに水曜日は本の話。
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1986426。
何の日でしょうか。
わたしは、17歳でした。
決定的に、わたしの生き方を変える影響を及ぼした日だったと、それから25年たって、わたしは思うことになる。
わたしはまだまだ子どもだったので、その影響は、直接にではなくて、周囲の大人たちの態度からもたらされた、と、思うことになる。
水面に投げ込まれた石が全方向に波紋を広げるように、その影響は、必ずしも好ましいものとだけは言えなかった。どちらかといえば、わたしのいのちに暗い影を落としただろう。けれども、それ以外にありようがあったでしょうか。そのような影の中で生きたこと、決定的に生きていくことを、わたしは大人たちに感謝している。
ひるがえって、2011311という日、それからきれめなく続いているこの日々は、わたしたち大人を、どのように影響しているだろうかと思うとき、ふたりの詩人の問いかけに、わたしたちは、真剣に、真剣に、全てのいのちを前にして、過去と未来の全てのいのちにかけて、答えなければならないと思う。
What makes us?
わたしたちをつくるものを、わたしたちはたやすく手放しすぎではいないのか。
諦めのよいことが善しとされる世の中のように見えるけれど、わたしたちの諦めのよさは、誰にとって、よいのでしょうか。
わたしたちは、誰のために、いのちをつなぐべきなのか。
いのちは、何によって、つながれるのか。
誰のために手放すのか。
ほんとうに、それを選ぶのか。
あの日から、28年。

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2014年3月12日 (水)

みそひともじの海【まど・みちおさんの詩】

まど・みちおさんがなくなったことを知ったとき、悲鳴が出た。
次の日、新聞を読んで悲しくて
何日も新聞にはいろんな記事が出て
読むたびに悲しくて悲しくて、
佐野洋子さんやカート・ヴォネガットが死んだ時よりずっと悲しくて
大好きな親戚のおじちゃんが死んだみたいに悲しくて
わんわん泣いた。
まどさんの全詩集を持っているので
Madosan
あれから毎日読んでいる。
小さな芝居の会で忙しくてたまらない日も読んだ。
ざっと読んだらどんどん読めるけれどどんどんなんか読まない。
最初の頁から順序よく読んだりもしない。
あっちを少し、こっちを少し
同じ詩に2回、3回と出会ったり
まだ出会わない詩もあって
ずっとそんな感じで
何年も読むんだ。
まどさんの詩には、そんな読み方がいい気がする。
「うさぎ」(うさぎにうまれて…… というほう。
でも、もう一つの「うさぎ」もとてもいいな。)
という詩がとても好きで
わたしの〈えんげき〉でやりたいことを説明するのにぴったりだから
稽古場で、何度も紹介してきたけれど
「うさぎ」すら越えて、
わたしが本物の大傑作だと思うのは
「するめ」。
短い。6行しかない。
数えてみたら、「するめ」というタイトル含めて31文字だった。
みそひともじ。
その中に、海があるんだ。
海と、海にかえりたい全てのわたしたちの、いのちの悲しみが。
他の詩を全部読んでも、わたしはやっぱり「するめ」が一番好きじゃないかなと思う。
それより好きな詩ができるのもの、楽しみだし
どれよりもやっぱり「するめ」だ、と思うのもいい。
 
まどさんは、長生きだった。
わたしたちのために長生きしてくれたような気がする。
でも同時に、ご自分が生きていることが楽しくて楽しくて、
長生きなさったのだろうという気もする。
そうしてまどさんは、なくなるときも喜んで、
まどさんに生まれて嬉しいまどさんのままで、あちらにいったんだろうと思う。
そう思っても、わたしはやっぱり、
まどさんが生きている世界がずっと続いていてほしかった。
まどさんがいないと思うと泣けてくる。だけど、
まどさんが死んで、まどさんのことばと画が残っている世界が、
今のわたしたちの世界だ。
この世界を生きていくのに、
まどさんの驚きはいつも、わたしの中にいて、わたしの驚きになってくれるだろう。
 
まどさん、ありがとう。
まどさん、長生きしてくれてありがとう。
まどさん、詩をたくさん、ありがとう。
まどさん、わたしは、わたしに生まれて嬉しいです。

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2014年3月 5日 (水)

贈られた小さな贈りものを次は【四つの小さなパン切れ】

Pankire
この本については、出版社のサイトを、どうぞご覧ください。
 
とても、ことばにできないとてつもない体験と、
そのあとを生きるまた別の、とてつもない体験のうちに
彼女が学びとった、発見した、すくいとった、教えを
この本を読む人は、
そっと差し出された小さなパン切れのように
手のひらに舞い落ちる小さな鳥の羽のように
小さいけれど、決してちっぽけではない、
軽いけれど、決して軽々しくはない
いのちの、かけらとして、消えない命の、消えない力として、受け取る。
 
そうして受け取った、彼女からの贈りものを
わたしは、わたしの妹たちのような
大切な彼女たちに、手渡したいと、思う。
 
マグダさんのことば、を、そっと。
 

『わたしの経験を伝えることを通じて、わたしがただひとつ願っていることは、あなたたちが自分を信じ、自由な人間として社会に関わっていける人になってほしいということです。

あくまでも自分に忠実でいてください。他人の期待に応えようとして、あるいは人から愛されなくなることを恐れて、自分を棄ててはいけません。』
 
 
いつも作品の中で、<えんげき>の現場で、
わたしが言っているのと同じことのようで、
もしかしたらこれは全然べつのことなのかもしれない。
 
マグダさんのようなとてつもない体験の後にも
わたしが同じことを言えるかどうか
確かめられる時がこのいのちの中でやって来るとしたらどうだろうか。
 
その時は、早々とやって来るかもしれない。
 
もしもわたしたちが、彼女からの贈りものを、受け取り損ねるとしたならば。
 
           
 
今、わたしの作品と取り組んでくれている
東京の妹たち、
仙台の妹たち、
高知の妹たち、
佐賀の妹たち。
 
あなたが、あなた自身とつながっていること。
 
誰かのためではない、あなたひとりのあなたとして
あなたが、世界とつながってくれることを
祈って、わたしは書きました。
世界に、たった一人の、あなたしかいない、あなたのために。

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2014年2月26日 (水)

忘れる生き物(後篇)【フクシマ・ノート】

さて、水曜日は本の話。
 
人間は、忘れる生き物だ。忘れることを、責めたり、怒ったりしてもしょうがない。それは、生きているもの全てが、年老いる生き物、死んでいく生き物であることを恨むのに近い。と、そのようにわたしも諦めていた。「しょうがない」し、「必要」でさえある。だって、いつまでも過去にこだわっていたら、生きていけないではないですか。心配ばかりしていても、前に進めないではないですか。そうなんだ。よくわかる。だけど。1995年の自分が、自分にだけ夢中で、故郷の災害にすら心を傾けることができなかったことをわたしは諦めていて、それから少しばかりは「自分」の範囲が大きくなって、あのときの自分よりは少しだけ、周りのことを考えられるようになっていることを、ちょっと良かった、と思っている。だけどどうなんだろう。過去の自分を諦めていていいのか。そんなちっぽけな「ちょっと」の成長で満足してていいのか。それで果たして、間にあうと思っているのか? 間にあわないとしたら、どうなると思っているのか?
 
人間は忘れる生き物だ。人間が、環境を変えることができる能力は、長い長い長い間、とても小さかっただろう。他の動物と同じ。少しばかり環境を荒らして、暮らしに窮するようになっても、少し遠くに移住してなんとかしのげれば、そうして、翌年か翌々年に元の場所に戻ってみれば、自分たちの汚した跡なんか消えて、別の生き物たちに覆い尽くされている。きれいさっぱり! 長い長い間、そうだったろう。人間が、自然の再生能力をはるかに超えて、環境を変えてしまうことができるようになったのは、ごく最近のこと。人間は、そのことにちっとも順応できていない。見たくないものは見えないふりをしていたら、自然が浄化してくれる、そういう慣れ親しんだルールだけ、今も変わらず信じていて、ほんとのことは、知っているけど考えないようにしている。自分がどれだけのことをしてしまえるのか、そうした結果、どうなるのか、増えすぎた生き物は当然の結末として、自然に生かしておいてはもらえないことを、本当は動物としての人間はきっと知っているに決まってる。だけど、知らないふりをしている。知ってしまったら怖いから。たぶんそうなんだろう。
 
人間が忘れる生き物であることは、もしかしたら、人間が年老いる、死んでいく生き物であるほどには、絶対うごかせない性質ではないかもしれない。そこが動かせないならば、当然の帰結として、人類という種は早かれ遅かれ絶滅するしかない。だとしたら、いや、仮定じゃなくてどう考えても当然そうなんだから、そこは自然の習いに逆らって、覚えていようとするしかないんじゃないのか。諦めちゃいけないんじゃないのか。人間は、急いで、もっともっと、急いで、もっともっと成長しなくちゃいけないんじゃないのか、自分が手にしてしまった強大な力に見合うだけの大きさにまで。早く、はやく、はやく。
 
忘れないことは、不自然なことだろう。目の前の、手の届く未来だけを見て、もっと先のことなんか考えない、過去のことなんか考えないで、短期的に生きることが、人間の自然だろう。でも、人間は、もう、自然ではなくなってしまった。人間は長生きをするようになったし、人が普通に考えることのできる期間をはるかに越えて自然界に影響を及ぼすことを、日常的にやるようになってしまった。人間に何万年も先のことを考える能力なんかない。もともと備わっていない。だけど、考えなくてはいけなくなってしまった。考えられないから、考えない、では、すまされない。考えなくちゃいけない。たぶん、能力が足りないのだから、せいぜいがんばって考えても到底万全の答えは出せないに決まっている。はじめから失敗が見えている。そんなことは、普通はやりたくない。だけど、考えるしかない。考えるために、忘れてはいけない。忘れることは、罪だ。今は、はっきりと、そう思う。その罪を、償う余力があるのは誰なのか。核で作った電気を使って、核の危険を全て隣人に押し付けてのうのうと生きてきた、今ものうのうと生きている都会の住民たちこそが、背負えなければ誰が背負うのか。
 
賛同してもらえなくてもいい。もしも、都会に住む人々の99.9%までが忘れることを選択しても、わたしは、忘れない、忘れる自分を恥だと思いつづけ、忘れる本能を否定し続けたい。不自然になった人間は、不自然を通らなければ、自然に許されることはないだろう。誰がやらなくても、ひとりでも、やりたい。わたし一人が覚えていて、それで、どうなるというわけじゃない。ただ、忘れないというそれだけのことに、心を砕いて生きたい。
 
なんと馬鹿げたことを言っているんだろうか。「三年を経ずして」、既にあの死者たちを忘れていた人間であるわたしなんかが、この先、どうすれば、忘れずにいることができると思っているのだろうか。「できっこない」と言っておけば間違いはない。ほとんど絶望でしかない。でも、こんなことくらいで絶望するなら、まだ絶望が足りないのだと思う。何もできない、何一つできない無力な自分を本当に見極めることができたら、きっと忘れないはずだ。本当にわたしは無力なのだし、本当にわたしは忘れたくないと願っているんだから。
 
Hukusima『フクシマ・ノート』で、日本に住むフランス人である著者、ミカエル・フェリエさんは、「フランスと日本を見渡せるいわば国境線上に身を置く人間」だと、自分のことを云っている。
 
わたしは、なんの裏付けも、なんの支えもないわたしは、忘却という国境線上に身を置く人間になりたい。そういう人間として、残りのいのち、わたしのハーフ・ライフを生きていきたいと、痛烈に思う。できもしない約束をしている自分の恥を、あらかじめ嘲笑いながら、それでも、それでも、思う。

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