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2013年11月11日 (月)

架空・お悩み相談室107『季節が変わると、着る服がなくなるんです。』

【お悩み】
季節が変わると、着る服がなくなるんです。去年のいまごろ着ていた服?どうしちゃったんだろ。タンスの引き出し眺めてもわかんないんですよね。なんかうまい具合に解決できませんかねえ。(大阪府/鼻唄ママのお悩み)

【お答え】
動いている船の中で、手に持ったハンカチを落としたとします。ハンカチは、ただ、床に落ちるだけで、地面に建った家の中で落とすのと同じです。しかし、甲板に立ち、手すりから身を乗り出しているときにハンカチを落としたら、それは船の外、海面に落ち、みるみる遠ざかっていくでしょう。

あなたが去年の今頃、引き出しにしまったはずの服は、ちゃんと引き出しの中にあれば、今もあるはずです。しかし、もしも引き出しに、世界の穴が開いていたら? 服は穴から世界の外、重力のない次元に落ち、みるみる遠ざかっていくはずです。服であれ、宝石であれ、人であれ、馬車や飛行機であれ、世界の穴に落ちれば、姿は消えてしまいます。そのような世界の穴についてのうわさや、伝説、神話のたぐいが、古今東西、無数に伝わっているのはご存知の通りです。

事実無根のたわいもないほら話、そうでしょうか?

前世紀の初めごろ、ある古い街に、一人の科学者が暮らしていました。貧しく、研究費も乏しく、実験器具も満足に与えられない老科学者でしたが、彼の才能は誰もが認めるところでした。もしも恵まれた環境にあれば、その後、世界を変えた発見のうち、少なくとも3つまでは、彼がもっと早い時期に成し遂げていたはずだと言われておりました。しかし彼は、自らの思考のうちに科学の謎を探ることに満足しており、彼の仮説を他国の若い学者が実証するたび、満足げに微笑んで、やはり、思った通りだったと小さくつぶやくと、また新しい謎に向かって思考の暗闇に沈み込んでいくのが常でした。実にしあわせな科学者でした。

最後に老科学者が取り組んでいたのが、世界の穴についての研究でした。彼は世界の穴に関する噂話の類に真剣かつ慎重に耳をすませ、その中に必ず、真実の語り手が見つかるに違いないと待ちわびていました。

「昨年の今頃、着ておりましたドレスが見当たりませんの。きちんと引き出しにしまったはずですのに……」
ある日、隣りに住む女性が困ったような顔で彼に打ち明けた時、彼の心は躍りました。彼女ほど質素で、几帳面で、モノを大事にし、かつ趣味の良い女性を彼はいまだかつて知りません。彼の知る限り、生まれてこのかた、何かものを失くしたことなどないはずの彼女のことです、引き出しにしまったはずの服がない、泥棒にも入られていないとなれば、まさか記憶違いということもなく、これは、世界の穴の存在を証明する、確たる証拠になるにちがいありません。彼は彼女の話に夢中になって耳を傾け、その全てをしっかりと心に刻み込んで急いで部屋に戻り、深い深い思考の闇に没頭し始めました。
彼が何日にもわたる、忘我の思考の闇から眼を覚ましたのは、なんとしても一度、彼女の引き出しに存在するはずの世界の穴をこの目で確かめに行かなくてはと決意したためでした。今から一〇〇年以上も以前のことです。いかに科学のためとはいえ、独身の紳士が、独身の女性の部屋を訪ねるということは簡単なことではありません。世知に疎い科学者も、前触れもなく彼女の玄関に立つはよろしくないということはわかっておりました。彼は青春時代にも試みたことのない権謀術策を巡らせ、複雑な手続きをとって、彼女の部屋を訪問する約束をとりつけようと画策を始めました。ところがそんな折も折、日課の散歩をしていると、向こうの方から彼女が歩いてくるではありませんか。秋の夜のことです。日も落ちて暗い夜道をそぞろ歩くのは彼の日課でありましたが、そこで彼女に会うのはまったく初めてのことでした。驚いて立ち止まった彼に、彼女も驚いたように微笑み返します。さらに驚いたことには、長年、着古したドレスを丁寧に手入れしながら着ていた彼女が、真新しいドレスに、真新しいケープを付け、頬をバラ色に輝かせ、そして、隣りに背の高い紳士を伴っているではありませんか。
「ド、ド、ドレスはやはり、見つかりませなんだか?」
おずおずと訊ねた彼に、彼女は小さな、しかしはじけるような笑い声をあげ、答えました。
「ごめんなさい、博士。よくよく調べましたら、古いドレスは確かにございましたの。けれどそれと気づかなかったのは、わたくしの眼が変わってしまったのですわ。昨年までのわたくしと、今のわたくしは別人なんですもの」そうして彼女は、ちらりと紳士に目をやるのでした。「あの、ご紹介しますわ、わたくしの、フィアンセですの」。
老科学者は丁寧に紳士に挨拶をし、二人に心からのお祝いを述べて、散歩に戻りましたが、そののちは一度も、世界の穴について語ることはなかったそうです。数少ない弟子たちは、それが彼の、生涯ただ一度の失恋であったのだろうと囁き合ったとのことです。

去年の服が見当たらないのは、世界の穴に落ちたのかもしれませんし、去年のあなたと、今年のあなたが別人であるために、同じものが同じに見えないせいかもしれません。まずは引き出しの中のものを全てとりだして、一見、服に見えないそれが、実は例の服であるかもしれないと疑いながら、一つ一つを丁寧に調べてみることです。科学とは、小さな疑いを見逃さず、丁寧に確かめていくことから始まるのです。

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コメント

世界の穴!! そーだったのか、と感心して読み進んだら、なんとなんと、去年のワタシと今年のワタシは別人かもしれないとは!

そりゃ、まったく、科学です。すばらしい科学ですぅ!!

投稿: 鼻唄ママ | 2013年11月13日 (水) 20時28分

鼻唄ママさま、その後、引き出しの中には何か見つかりましたでしょうか。

投稿: 阿藤智恵 | 2013年11月14日 (木) 11時59分

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